火坂雅志の著作『豪快茶人伝』を読了

令和5年4月4日(火)、火坂雅志の著作、『豪快茶人伝』を読み終えた。kindle版をiPhoneのVoiceOverで聴く。

安土桃山時代から明治、昭和の時代まで、個性的な茶人のエピソードが収録された本である。

政治的に権力者と対立して死に向かった利休など、まず、死生観が常人とは異なっているように思われる。これは古田織部なども同じだろう。この点、著者が指摘しているように、美学がはっきりとその人の中にあるのだろうと思う。

この人も茶人であったか、と思う人も多数取り上げられており、とても勉強になった。政治における権力者、商人、現代で言うところの経済人など、茶人としての側面も持っており、その茶人としてのエピソードが語られた、ということなのだろう。

以下、印象に残った茶人。

(1)江月

「異聞紫衣事件」で紹介される。紫衣事件において最初沢庵らとともに幕府に抵抗したのだが、のちに態度を変え、従う事となる。その事情がここで説明されており、面白く感じた。この人は津田宗及の次男である。宗及は長男を商人に、次男を僧にしたのである。激しく変化するこの時代に、寺は政治などの風圧のかかりにくい場所という一面があった。茶人としての宗及は東山流の茶をしたという。この流の茶では唐物の茶道具、「道具の格式(本文チュノ表現)」が重んぜられた。

そして、僧となった江月が津田の家の茶道具を託された。この茶道具を用いて茶会が開かれてもいるそうだ。彼が紫衣事件において幕府に屈するという決断をしたのは、この茶道具を守るという目的のためではなかったかと著者の筆は語る。

(2)松永耳庵

安岡章太郎の著書『利根川・隅田川』(中央公論新社)では90歳を過ぎて「枯れ木」のような、とその姿が描かれている松永安左エ門耳庵。対談した安岡は松永の衰えぬ気力について書き留めている。

この『豪快茶人伝』では、「荒ぶる数寄者・松永耳庵」の中で、「鬼」と称された松永のエピソードが記されている。松永の茶との出会いの場面において、三井の益田孝が登場する(益田の茶人としてのエピソードはこの前に置かれたパート、「益田鈍翁の絵巻切断」においても語られる)。益田が松永の茶会に興味を持っていたらしい。

松永は(以下引用)「官吏(官僚)は人間の屑だッ!」(引用終わり)と言っていたとのこと。先日読んだ高山正之の著作『「官僚は犯罪者」は世界の常識』(PHP研究所)を連想させる言葉だが、松永は政府と電力の国有化をめぐり争っていた。九州出身の松永は電力会社で成功した。九州だけでなく、日本各地に事業を広げていく。しかし、政府は電力を管理下におこうと動く。先の「人間の屑」発言は、長崎のシンポジウムにおいてのものであるとのこと。結局、彼は敗北し、電力事業は国の有するところとなる。

茶では桁違いに高価な茶道具の購入(現在の貨幣価値で100億円近いのだそうだ)、電力事業では戦後の民営化における強烈な決断力の発揮や脆弱なインフラの整備のための電力値上げなど、確かに「豪快」、「荒ぶる」という言葉が彼のエピソードにはふさわしいと思った。

上の(1)、(2)のほかにも、金森宗和、丿貫、織田有楽、松永弾正、道薫(荒木村重)など、興味深い茶人が多く登場する。さらに茶の本を読みたくなる、歴史を学びたくなる、とても面白い一冊だった。

火坂雅志著/豪快茶人伝(KADOKAWA、2013年)

〈関連する過去記事〉

●金森宗和についての記述がある『街道をゆく(29)』を読んだ記録を含む記事

司馬遼太郎著『街道をゆく(29)』などを読了

●益田孝の登場する『小説三井物産』を読んだ記録を含む記事

小島直記著『小説三井物産(上)』などを読了

小島直樹著『小説三井物産(下)』などを読了

(敬称略)

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